「誇り高き全国ブランド」きらめ樹材。
始まりは1本の河だった。
この美しい清流を残したい。
何とか次世代に引き継ぎたい。
その一念で始めた富士山麓での間伐ビジネス。
やがて、僕はひとつの事に気がついた。
自分の特異性にだ。
「もしかして、間伐だけで食っていこうという人間は
日本中で俺一人しかいないのではなかろうか‥?」
見渡してみると、他には誰も見当たらない‥。
こんな事では、間伐なんか進む訳が無い。
この1本の河を守ろうと思ったら、
ここでだけやっていても意味がない。
日本中に間伐が当たり前の様に広がって、
それが外圧の様にここに舞い降りてくる。
そうでなければ、この河を守ることなど出来ない。
そう思い至って、
いつしか勝手に日本中の森を
背負っている気になっていき、
全国を見据えた活動を展開し始めた。
「誰でも出来る」は、同時に「どこでも出来る」事だった。
この時、全国ブランドとしてのきらめ樹が産声をあげた。
きらめ樹は、はなから全国志向だったのだ。
意外にも思えるが、
材木の世界に全国ブランドは存在しない。
あるのは、奈良の吉野や京都の北山に代表される
「産地ブランド」だ。
その土地その土地に流された先人たちの汗。
それを引き継ぐのが産地ブランド。
いわば、歴史に育まれたブランドだ。
一方できらめ樹は、土地も歴史も持たない。
現在進行形で、どこでも、誰でもがたずさわれる。
この事が、後に大きな意味を持ってくる。
きらめ樹は、どこでも、誰でも同じ手法で出きる。
この「同じ手法」がミソ。
きらめ樹は、土地を持たない。
銘木を生むためにその産地に蓄積された
特殊な技術や華やかな歴史も持たない。
だけど、過去とは繋がっている。
普通の人が汗水垂らして植えてくれた木。
急斜面をやっくりゆっくり登っていき、
背負った苗木を植えつけていく
その気が遠くなる様な作業を継いでいる。
そうやって植えていただいた木々を
未来に繋げていくために。
「きらめ樹は選木が肝。」
そういう思いで森に入っている人達が、
全国で丁寧に愚直に作業を続けてくれている。
その土地の歴史を引き継ぐのが「産地ブランド」なら、
同じ想いを共有するのが、「全国ブランド きらめ樹材」。
今、林業は大変苦しい時代を迎えていて、
映えある林業地でも、かつてでは考えられない
大規模な皆伐も行われ出したと伝え聞く。
だけど、きらめ樹は過去を想い、未来を想う森仕事。
そこから出てくる材は、森を想って出てくる材。
それは、しがらみも多いと聞く森林認証制度などより、
遥かに価値のある認証制度となる。
やっているのは、本当に普通の人々。
(ま、本音を言うと「まぁ、その~‥。」と
言いたくなる方々も多い‥。)
だけど、その人達が愚直に流した
キラキラと弾ける様な汗が、必ずや社会に伝わっていく。
何故なら、きらめ樹は全国ブランド。
従来のような産地間競争とは無縁の存在。
むしろ、育て愛・支え愛の関係で
互いに仕事を増やし合い、分かち合う関係にある。
そして、全国に仲間を持つからこそ、
その営業力は国内最大になり得る。
競争の社会から、調和の社会へ。
時代の風は、変わり始めている。
そう僕は信じている。