きらめ樹回顧録 その1
「2本の基準軸。」
NPO法人森の蘇りの理事長を退任した。
これまでを整理するいい機会でもあるので、
自分の中で大切にしてきたものを書き留めていこうと思う。
それを「きらスピ(きらめ樹スピリット)」と呼んでくれる人もいるけど、
必ずしも普遍的なものとは思っていない。
あくまでも、自分が何を大事にしてきたか、というだけのことだ。
さて、本題です。
何かをしようという時に、
いつも、真っ先に考えることがあった。
それは、
「これは、日本の森、世界の森を守る事に直結するか?」
「そして、それを広げていくために、全国で再現性があるか?」
ということ。
たとえば、家具。
腕を磨き、美しい家具を高い値段で売れるようになったら、
もしかして、生計は楽になるのかもしれない。
だけど、そこで使われる木材量は知れたもの。
それが、外材から国産材に置き換わったとしても、
日本の森、世界の森にさしたる影響を生むとは考えにくい。
そして、そのレベルに到達するのに、何年かかるだろう。
僕らは、伐採も製材も加工も、そして建築の元請けまでを受け持つ。
ひとつの分野でプロになるまで、
大体10年が目安と言われている。
それらの全ての分野でプロになろうと思ったら、
単純計算で40年かかる。
早くても40年もかかる道を歩み出したとしたら、
もう、日本の森も世界の森も終わってしまう。
仮に、もっと早くプロと言える水準に達したとしても、
その道を辿れる人は、全国にどれだけいるだろう?
だから、僕はプロを目指さなかった。
オーダー家具を受ける事はあっても、
僕の主戦場はあくまでも住宅。
建材を作る事にこだわり、そして、
「誰もが出来るやり方」だけを採用してきた。
ハニカムとおる君の時もそうだ。
「大西さんの所にお金が集まる仕組みを作り、
鉛筆を作るように、六角形材を作れる機械を入れたらどうか?」
そういう提案もいただいた。
だけど、それは即座にお断りした。
ここでだけやれても、何にもならないからだ。
あくまでも、全国どこにでも眠っている
古くさい旧式の機械で作る事にこだわった。
精度が出せるようになるまで、半年以上を要した。
その期間中、何回も
「自分は、無理な事をやろうとしているのではないか?」
そんな思いにとらわれた。
だけど、コンマ2mm以内の誤差で、
美しいハニカム材を作るやり方を確立した時、
大きな教訓を得た気がする。
それは、「諦めることの怖さ」である。
あの時、どこかで1日、
「諦める日」を作ってしまったら、
永遠にこの瞬間は訪れなかったのだ…。
それは、ぞっとするような思いだった。
誰もが出来る道を、淡々と歩み続ける.
それは、「今だけ、金だけ、自分だけ」という風潮の
全く逆を行く道だったようにも思える。
そして、今、「今だけ、金だけ、自分だけ」という表現が
出て来た事に希望も感じる。
10年前には、こんな表現はなかったのだ。
それに気がついている人が、増え始めている。
社会の空気は、すでにゆっくりと変わり始めている。
後はそれを加速させていけばいい。
みんなで。